クチクラキチン

ゴキブリみたいな味がする。

「シン・ゴジラ」における怪獣論・後編

今起きました。
寝てる間に興行収入60億突破してましたねおめでとうございます。
個人的には鳥取など行ってました。楽しかったです。

 

okiam.hateblo.jp

 前の記事を読んでから見てね。


以下後編↓↓↓


『シン・ゴジラ』白組によるCGメイキング映像

※ネタバレ前提
※クソ長くなってしまったので前後編になど分けております。
前編を見た前提で唐突に始まります。


ではそのシンゴジが現代日本でどう叩かれ終わりを迎えたのか!!

要素3:叩かれ方

いきなり失敗したのですが、
前編の「要素2:扱われ方」内のギャレゴジとの比較で
今回の叩かれ方っぽいことも書いていたことに気づきましたが
ここの要素であったかのように読み直してきて下さい。

〜〜〜

つまりは叩かれ方もアメリカとはまた方向性が違ったわけですね(仕切り直し)

叩かれ方というのは人間からゴジラに対しての挑み方、戦い方に当たります。
怪獣は意図して人間社会を破壊しには来ませんが、人間社会から見たらその脅威を排除しない手はありません。

今回の映画も同様に排除にかかりますが、まぁ見た人皆興奮したでしょうアレな感じでした。
無人在来線爆弾!!

ここら辺も他の人が沢山書いてるので熱く語る必要もないわけですが、
東京都内でゴジラと出会う意味をこの叩き方に全力投入です。

都心といえば壊されるものとばかり思われていたものが一斉にゴジラの敵として立ちはだかるわけですからそりゃ熱いわけです。
また上記のギャレゴジ比較にも繋がりますが、
外から持ち込まれる核を使用せず、身内の道具だけでなんとかしようとするのも日本人的に何かとグッとくるのかも知れません。

ここら辺の外連味と言いますか、身内感・地元感と言いますか、ある意味でのローカル美味しい要素がシンゴジの現代で作られた故の魅力でもありますし、
とりわけ海外だとどう映るのかは興味あります。

シンゴジが日本で受ければいい作品だったのか、海外も加味していたのかは今後の海外展開の様子を見て確認したいところ。

要素4:終わり方

さぁ散々東京都に叩かれたシンゴジもとうとう終わりますよ。

シンゴジは倒されました。殺したというより止めました。
進化し続けるシンゴジの時を凍らせました(詩的な表現)。

文字通り息の根を止めた初代ゴジラの究極的な生物殺害の方法とは打って変わり
極めて抽象的、象徴的な止めの刺し方だなぁと感じます。

象徴的な殺し方といいますと、平成の一区切りでもありましたVSデストロイヤでのバーニングゴジラの熱で溶ける死に様もまたそのように印象的な死でありましたし、
今回とは要素が真逆であるというのも面白いですね。


ゴジラvsデストロイア

散々言っております怪獣を神か何かのような別次元の存在をして扱う場合、終わらせ方もそれに見合う神話にしないと…といいますか、したいと感じる部分があります。
作戦名に神話を基にしたヤシオリという名前がつけられるのもそのような神話として昇華させたいという登場人物、あるいは作者の意図があるのではないでしょうか。

VSデストロイヤにも通じますが、ある程度シリーズを続け、話を生み出し続けた存在を殺すためには相応の大きな神話にしないといけない使命感も発生するわけです。
そのための象徴的なビジュアルに訴える終わらせ方になるのではないでしょうか。

また、誰もが気にした最後の尻尾。物語的な面での終わらせ方ですね。
あの複数の人間はゴジラの次の進化体であったと一般的に考察されています。
つまり群体(人間)に自分を翻弄するほどの攻撃を受けたゴジラは、それさえも学習・適応し、自身も群体を次世代にしようとしていたということですね。

人間という概念を認識し、取り込んだというのは面白いです。

圧倒的巨大感による破壊を好む怪獣ファンには不評かも知れませんし、
人間などという卑しい生物のことなど道端の石程度に扱ってほしいと願ってる怪獣ファンには遺憾かも知れませんが(そんなこともない?)

これまでのシンゴジの進化の過程、
水棲→陸棲→二足  に続く進化として、
現時点、確かに地球上で最も発展した「人間」の概念にゴジラもまた近づくというのは、理にかなってると言えるのではないでしょうか。

そういった含みとして、納得ではあります。

が、大変個人的な意見で言いますと、

ぶっちゃけあのシーンでは、なんかもう、萎えの感情が先立ちましたので、
正直要らな…いや、要らないとは言わないが…
後ほど設定資料集とかでこそっと明かされる方が燃えたかもなぁなどと思ってしまいました。

(直感的な問題なんです…人間化すると怪獣じゃなくてモンスターに見えてしまうから…本当くだらないこだわりと理由なんです…)


…と言ってもみましたが、単純に進化生命体の考察に考察を重ねた結果の結論がアレに至っただけで、
あのように象徴として残したり意味深に映したのは副産物であったという可能性も十分あり得るわけです。

マニア映画ですから。何を意図するかはわからない場合も多くあります。
逆に言えば、勝手な解釈や考察を勝手に垂れ流すことが許されまくるのもマニア映画たる所以でございます。許されよ。

●終わりまして

また偉そうなことを言いますよ。

ぶっちゃけまして、
所謂怪獣はキャラクターの概念。何をやっても良いのです。
怪獣論などと銘打ちましたが、何かを確定するような論では全くありません。常に更新されていくものです。

怪獣はこのような意味がある!と考察するのは楽しいですが、
このようにすべきだ!昔はこうだった!などと拘束するようなことを言った途端、キャラクターは停滞し腐っていきます

一体のキャラクターならそれこそブレブレではいけません。
しかし怪獣、というか概念は変化するものです。シリーズとして続くなら変化は必然。
時代に合わせて怪獣が変わる。いやもしくは、その時代に必然となる形で、怪獣は現れると考えるとちょっとかっこいい。


ゴジラ

初代ゴジラは今の形ではなく、当時こそ必然の形でした。

その時代にとって、「何」が怪獣になり得るのか。その映画にとって「何」を怪獣として成し得たのか。
何が正しいのではなく、その時代や文化にこそ生まれた姿を変遷を追って都度楽しめるんだから、シリーズものって面白いじゃないですか。

そういう気持ちで、シンゴジラの怪獣は「なるほど、今はこうなるのか」と偉そうに思い切り楽しめたと思います。

過去の名作に限らず、怪獣に限らず、
その時代に現れた作品をリアル体験することで味わえるリアル経験値をもっと沢山摂取したいですね。バリバリムシャァ。