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クチクラキチン

ゴキブリみたいな味がする。

「シン・ゴジラ」における怪獣論・前編

もう皆色々言ってるだろうから今更全体の感想とか言う必要ないと思うんで
ゴジラというか怪獣のことだけ書きます。


『シン・ゴジラ』予告2

※ネタバレ前提
※クソ長くなってしまったので前後編になど分けております。
後編は後ほど更新予定。



読みづらさをごまかすために偉そうにサブタイトルなどで区切る。

そもそも「怪獣」って

怪獣というのは日本の妖怪や八百万の神の概念を引き継いだ戦後日本の現代的なキャラクター概念で、
天災や病気といった自然現象から、大規模な人的災害の脅威などといった、
人間一人では退けることができない、巨大な存在の具象化した存在と言われてます。

自分たちの「敵」として現れるヴィランではなく、
敵とすら認識できない、というより認識されていない、
意思疎通の術がない理解を超えた「何か」。

人によっては災害と呼び、人によっては神と呼ぶかも知れない。
そんな畏怖の対象としての面が根底にあるのが怪獣の概念かと。

しかし、「ゴジラ」より始まった怪獣ブームですっかりキャラクターとして愛され対象となった怪獣は、
どんどん分かりやすく、理解しやすい形へと変わります。
「シェー」をしてみたり、会話をしてみたり、熱く人間と共闘してみたり。
大変愛くるしい。それもまた大好き。

とはいえ、先程言ったように怪獣は妖怪や神の概念を引き継いだもの。
形を与えられた概念というものは、前提としてその時代の文化と共にあり、
キャラクターとしてのアイコンも事前に備わっているもの。

その時々の求められる文化によって形が適応していくのもまた怪獣。
神でも悟ったように語っても、結局怪獣も人間の考えたものなんだよなぁとゴジハムくんなどを見ながら思います。

●では「シン・ゴジラ」って

さて、「シン・ゴジラ」のゴジラ、通称シンゴジさんはどうだったか。

まず映画の空気として、初代ゴジラを全面的にリスペクトしながら、
現代日本ならではの装置の活用が多く見られ、時代に即した怪獣映画として丁寧に作られている印象を受けます。
その流れの通り、シンゴジも現代日本ならではのデザイン、扱われ方、叩かれ方、終わり方を考えられてた。んじゃないかなーーと思う。

それぞれ分けて解説していきますね。

要素1:デザイン

前田さんイメージデザインからの竹谷さん造形デザイン。そうですね最高ですね
ポスターで見た時の首だけシルエット。そこから気になって写真の明度を上げた時に初めて見えたあのゴーヤ肌と牙と眼と。

キャーーー素敵ーーーーー

デザインに関しては最初から期待が高かったのを記憶しております。

あくまで主観ですが、
リメイクデザインというのはディティールが増える傾向にあります。
元のデザインから削るというのは難しい作業で、意識的にテーマを組み直さない限り、
流されるままではその時代において「良い」とされる表面的な要素を盛るだけになりがちです。

シンゴジもリデザに当たり、盛り要素は勿論あります。
けれど、その盛り要素がシルエットを崩していないのが良いですね。

ディティールが増えれば当然シルエットにも追加されがちですが…大きく変わっているのは獣脚のみで、ほかは伸びたり縮んだりした程度。そのシルエットに個性がしっかり詰まっています。
目のサイズの比率だとか、ゴーヤだとか、バランスを崩さないレベルだけど確実に特徴として目に付く牙の生やし方だとか(個人的に好きな逆ゴジを思い出してその意味でも好きな牙です)、ゴーヤだとか、
そういった細かい積み重ねが個性を生み出しながらも、違和感のない別のものに作り上げることができたのでしょうか。

あくまで初代ゴジラを踏襲し、新解釈を加えながらも、奇をてらいすぎない絶妙なバランス感覚は流石としか言いようがありません。ゴーヤ万歳。

(これに関しては現代日本ならでは〜という話ではなく、デザイナーさん個人のレベルの高さに関するお話ですね。ただそのデザインが好きであるといういきなりの脱線でした。)


次にシンゴジに於いて重要な要素であった形態変化について。

※形態変化について復習
 第一形態:海中で尻尾だけ見えてた時
 第二形態:陸に上がり四つ足行脚した時<
 第三形態:ゴジラが立った時
 第四形態:デフォルト時
第五形態は顎なのか尻尾なのかは意見が分かれる様子。

歴代ゴジラはそれこそ長い映画暦の中で何度も着ぐるみを形態変化させていたことはお馴染みの特徴です。
それは着ぐるみの作り方を確立させる工程であったり、その時の作風にあったリデザインであったりと(そして各造形作家の味も含め)時代に合わせ様々です。
またゴジラの息子であるミニラに始まり、平成シリーズのゴジラジュニアの成長から、ゴジラの生物としての形態変化を意識することは決して無かったわけではありません(ミニラはある意味衝撃でしたが)。

形態変化は特異な要素ではありません。
むしろこれまでの変化の要素を踏襲した結果の、今回の形態変化であると言えます。

海中から陸上へと移動した第一→第二、より陸に適し、放熱性も高めた第二→第三→第四
そして外敵の出現から熱線の取得、高度な適応としての群像化の布石など、シンゴジはその都度状況に応じて形態を変化させます。
これらはもちろん生物としての適応変化の過程でもありますが、
「活動場所」や「環境」への適応は「時代背景」や「文化」への適応・変化を続けてきたゴジラシリーズそのものの印象と被ります。

この「変化」という個性を一つの作品で表現できるのも、シリーズとして確立したゴジラを空白期間を用いて俯瞰して見ることができる立場にあったシンゴジならではの個性と言えるかも知れません。


ちなみに上記で第四について先に書かせてもらっていますが、
私は第二が一番好きです。
第四はその風貌に畏怖すら感じますが、第二に関しては

第二形態たん!!!!(サイリウム

てぐらい印象が違います。

半分冗談なので真面目に書きますが、第二の魅力は全て初登場にあります。
川を進行する姿の小ささ、不格好さに違和感を覚えてながらもゴジラなんだよな…?と思ってた視聴者の期待を裏切り登場したあのパニックモンスター野郎こと第二形態。
深海魚のような所在のない眼球と読めない動向が向こうから迫ってくる一瞬は大変インパクトの強いシーンで、あのデザインはこの初登場シーンのインパクトをつけるためだけに存在してると言っても過言ではない。
キャラクターとして確立していながら、恐怖を初見で徹底的に植え付けることができたのは第二の功績でもあるでしょう。

本能的に「ヒッ」となれるゴジラが見れたというのは個人的にも嬉しい経験でした。
推しメン:第二形態。

デザインに関してこれ以上は萌え語りにしかならないのでさっさと次に行きましょう。

要素2:扱われ方

シンゴジは「実際にゴジラが現れたらどうなるか」というのが重要視され作られていると聞きます。
この「実際に」というのは「実際の現代日本や組織体」という意味で、自衛隊とミーティングしたり首相官邸をロケハンしたりしたとの事ですが(ほぼマニアの趣味の領域ではと思いつつ)、
別の意味で、「今の時代の日本にとって」のゴジラが現れたらという意味合いもあると思います。

1954年当時、非常にデリケートな問題だった水爆や原爆問題をダイレクトにあの時代に使用して初代ゴジラは作られました。
2016年現在、同じように誰もが注視せざるを得ない問題とは何か。それを前提としてシンゴジの動きは定められています。

見た人なら大抵の人は察する要素ではあると思います。「自然災害」や「原爆」、「外との関係」。
54年から姿を変えながらも同義の問題が存在しているのも、ゴジラの日本の怪獣としての系譜を感じる部分です。

自然災害の恐怖、人的被害の回避、国際問題、それらが全てあの意思疎通できなさそうなシンゴジが東京行脚するだけで周りで勝手に(物語的には意図的に)発生するのですから本当に面白い。
風刺としてのゴジラが全開のシンゴジでした。


これはギャレスゴジラとの比較でもはっきり分かりますね。


Godzilla - Official Main Trailer [HD]

2014年公開のギャレス・エドワーズ監督作「GODZILLA ゴジラ」ことギャレゴジさん。
ギャレゴジでも「放射能」「核兵器」などシンゴジと同様の単語が飛び交います。
しかしギャレゴジはあくまで「アメリカ版ゴジラ」であると感じます。

一例ですが、ギャレゴジでは核兵器は使用前提で、それを「どうゴジラにぶつけるか」という点を後半のドラマの中心に置いていました。
核兵器は危険ながらも使うしかないといった扱い。使う事を自己判断で行える。

対してシンゴジでは核兵器を「どうにか使わずにゴジラを倒す」という点が後半のドラマでありました。
そしてこれは核兵器を持たないゆえに外から持ち込まれる前提となる日本だからこそできる外との交渉バトルにもなります。

またギャレゴジは「日本のゴジラ」をリスペクトし「最後のサムライ」をイメージされたと聞きます。
日本の戦争後の象徴・キャラクターとしてのゴジラから連想したのだろう観点が大変面白いです。ガメラも入ってたと思いますが。

しかしシンゴジが「サムライ」では無い事は恐らく全員が分かるところでしょう。
それはシンゴジがキャラクターとしてのゴジラをリスペクトしたわけでは無く、当時のゴジラを生み出した「姿勢」そのものをリスペクトしているからでは無いでしょうか。

繰り返しますが、初代ゴジラが当時の日本の不安要素を元に生み出された怪獣です。キャラクターとして確立する前の、誰も知らない、しかし誰もが知っている抽象的「不安」を抱え具象化した存在が当時のゴジラ
その生まれるまでの姿勢が、シンゴジの「今の時代の日本にとって」「実際に」というテーマを生み出したのでは無いかなどと妄想します。

ちなみにこの2作のゴジラ解釈はどちらも好きです。
洋モンスター映画としての輸入型ゴジラ、邦怪獣映画としてのご当地型ゴジラ
両方の視点の違いをこうして比較するのも楽しいですよね。
特に象足のギャレゴジと獣足のシンゴジの足元比較なんてしたら大変キュートですよね。話が逸れました。



ではそのシンゴジが現代日本でどう叩かれ終わりを迎えたのか!!

それに関しては一旦寝てから考えます。
ので唐突に後編に続く!

 

okiam.hateblo.jp